言い訳さえあれば他人も傷つける

滋賀県高島市饗庭山法泉寺住職の吉武学です。
人生のお悩み終活のご相談をはじめ遺言・相続・葬儀・埋葬のお悩みに「三つのそうだん」でお応えします。

以前から義務でもなく任意だったマスク着用をあらためて「任意だ」と言われた3月13日。

ウチの子どもには登校前に、今日から任意だから着けるのも外すのも自分で決めて自由にすれば良い。
周りの子が着けていても外していてもとやかく言うことではない、と伝えた上で、どうしたいか聞いてみると、一人は着けていくと言い、もう一人は外していくと言いました。
子どもなりに色々と考えているのだと思います。

保育園は以前から着用も求められてなかったので着けていっていないのですが、母親が迎えに行くと何とマスクをしていました。
子どもに聞くと、咳をしていたので、先生から渡されたとのこと。
保育園では季節性インフルエンザが大流行していますが、3月にこんな流行り方をしているのは記憶にありません。
ウイルスが違うのか、我々の方が何か変わったのか。

私は親戚の葬儀の準備をしていて、消毒液も不要だろうと思い片づけておくと、他の方がまた出してこられました。
理由を聞くと「誰かが文句を言ったりウルサいかもしれないから」
何のためにマスクをしているのか、という理由が垣間見える返事だったと思います。

他人からの攻撃から我が身を守るために、不条理な行動を、やむを得ないことと、自分を納得させて行うことは以前から見られました。
私が生まれて間もない頃にあった「三菱銀行人質事件」では、犯人に銃を突きつけられた行員が生きている同僚の耳を「すみません」と泣きながら削ぐということをしています。

マスクと強盗では深刻さが違うとか色々な意見はあるでしょうが、根底に流れるところは同じだと思います。
たかがマスク、と思っているかもしれませんが、他人から攻撃されることを恐れる、という気持ちは、言い訳さえあれば、言い訳を楯に他人を攻撃する気持ちだということを自覚する必要があると思います。