私は被災地の人に怒られると思っていた

滋賀県高島市饗庭山法泉寺住職の吉武学です。
人生のお悩み終活のご相談をはじめ遺言・相続・葬儀・埋葬・終活のお悩みに「三つのそうだん」でお応えします。

元NHKアナウンサーの武田真一さんの記事を見ました。
看板アナウンサーでしたし、見た目どおりの誠実な雰囲気で、夜のニュースや紅白歌合戦でも活躍される姿を見ました。

熊本県出身ということもあるのでしょうが、熊本地震の際にNHKスペシャルを担当された時は、最後に「被災地のみなさん、そして私と同じように、ふるさとの人たちを思っている全国のみなさん、不安だと思いますけれども、力を合わせて、この夜を乗り切りましょう。 この災害を乗り越えましょう」と語りかけられ、ちょうどリアルタイムで見ていた私は、ここまでアナウンサーが想いを伝えるのか、と驚きました。

・毎日新聞 「「何もできなかった」武田真一アナ 津波実況した被災地で伝えた言葉」 2023/11/12

記事によると、2011年3月11日の東日本大震災の際は「NHKニュース7」の担当で、ヘリコプターからの映像を実況されていたそうですが、宮城県名取市の映像を伝える際に、津波にのみ込まれる車を見て絶句されたそうです。
そして「言葉や報道は、なんて無力なんだろう」と感じると共に、そこで何も出来ずに様子を伝えるだけの自分に被災地の人は怒るだろうと思っていたというのです。
そんな想いがあったから、熊本地震の際の言葉に繋がったのではないか、と思います。

そんな武田アナが、YouTubeチャンネル「ReHacQ」に出演されて、なぜNHKを退職されたのかを話されていました。

・YouTubeチャンネル ReHacQ 「【NHK→日テレ】プロの伝える技術とは?NHKエースアナが激白【なぜ辞めた?】」

定年退職まであと5年となった時に、管理職に上がることが決まり、アナウンサーとして報道の場に立っていたいと思い、フリーアナウンサーになられたそうです。
その立場になった時に前述の新聞記事にあった名取市閖上地区にも、自分が会いたいから会いに行く、で良いのではないか、と思えたとのこと。
取材者としての傍観者ではなくて、自分がそこで何ができるのだろうか、ということをよく考えるようになったと話されていました。

おそらく閖上地区と思われることの話もされていましたが、「ただ行くだけです。行って、久しぶり〜、とか声をかけるだけです」と言われていました。
新聞記事でも見だし部分に「閖上が好き。それでいい」と書かれていました。

武田アナの一つ一つの言葉は、ご本人の誠実さと責任感の強さから来るものだと思います。
ただ、私たちは一人一人ではできることがほんの僅かな人間です。
そういう点では武田アナが被災地の人から「役立たず」と怒られるんじゃないか、と思っていたのは、自分はもっと色んなことが、大きなことができる、と思っていたからだと思います。

今、フリーアナウンサーになられて、組織を離れて自分自身でできる一つ一つのことがとても小さいことを実感されて、肩の力が抜けた発言になったのではないでしょうか。

私も、自分の力を過信せずに、目の前の仕事、目の前のお客様、目の前の問題に一つ一つ誠実に取り組みたいと思います。