滋賀県高島市の饗庭山法泉寺住職の吉武学です。
人生のお悩みや終活のご相談をはじめ遺言・相続・葬儀・埋葬のお悩みに「三つのそうだん」でお応えします。
近隣の親戚寺院の方が亡くなり、お葬式の準備をしています。
集落内で唯一のお寺ということもあり、準備に来られた役員の方も地域の方も「私のお寺」「私のごえんさん」のお葬式という雰囲気で積極的に準備をされています。
近年は葬祭ホールで葬祭業者の方に入ってもらっての葬儀がほとんどということもあり、準備物などで簡略化されている物も多い中、今回は本堂での葬儀ということで、役員の方から簡略化せずに行いたい、と色々準備されていました。
例えば葬儀が終わり、霊柩車への葬送行列を組む際に、最近は行列の距離もほんのわずかということもあって、香炉や蝋燭を立てる鶴亀を持たずに、僧侶と遺影と棺だけということがほとんどです。
しかし、今回は行列の距離をそれなりに取れるため、香炉、鶴亀なども全て持って葬送行列を組みたいと提案がありました。
さて、その葬送行列ですが、先頭の導師である僧侶は引鏧(いんきん)と呼ばれる鐘を鳴らしながら歩きます。
また、寺院からの出棺の際には大きな梵鐘を鳴らすこともよくあります。
葬祭ホールからの出棺の際は、霊柩車からのクラクションがこの代わりでしょうか。
こうした葬儀の際の屋外での音が迷惑であるというクレームがあると「月刊住職」6月号で特集が組まれていました。
街の中に立つ葬祭ホールでは近隣の住民との関係性が大事なことから、対応しているケースが見られるようです。
特集の最後では寺院葬をしている僧侶が「葬儀をお寺でない場所でやるようになったのが原因。多くの人が集まれる場所であり、鳴り物も思いっきり鳴らして故人を見送ってあげるのが本来の葬儀」と述べられていました。
お寺であればクレームが無いかと言えばそんなことはなく、除夜の鐘を深夜に鳴らされるのがうるさい、とクレームが起きたというのは、かなり前にテレビや雑誌などでも取り上げられました。
そのためまだ陽が暮れないうちから除夜の鐘を鳴らすところもあるそうです。
以前から存在していた寺院でなく、新たに建設された葬祭ホールは生活空間の中に突然現れた闖入者ということもあり、より厳しい目が向けられがちだということもあるのでしょう。
しかし、それ以上に「人が亡くなる」という出来事を日常空間から隠そう、とする動きが強いことを感じます。
例えば、自分の身内であっても、ご遺体をできるだけ早く棺に入れてしまおうとしますし、棺の中を見られない方も多くなってきました。
そもそも葬儀に駆けつけた人の挨拶でよく聞かれるのが「突然のご不幸」という言葉です。
私たちは「生まれた」という原因があるから「死ぬ」のであり、生まれた瞬間から死ぬことを運命づけられており、いつかその日がやってくるのを知っています。
不幸という言葉には、生きていれば色々と出来ただろうに、死んでしまったから何も無くなってもう終わりだ、というニュアンスが感じられます。
また死んだら「不幸」だということは、私たちの人生は不幸に向かってまっしぐらに進んでいる、ということになります。
亡くなった方への敬意ということや、死ぬことを運命づけられているこの人生を精一杯生きられた、という気持ちから考えれば、定型的な「突然のご不幸」という言葉でなく違う言葉が出るのではないでしょうか。