滋賀県高島市の饗庭山法泉寺住職の吉武学です。
人生のお悩みや終活のご相談をはじめ遺言・相続・葬儀・埋葬のお悩みに「三つのそうだん」でお応えします。
今回の家族旅行は全て車で移動したので、各地の地理、地形がよく体感できました。
特に九州を北から南に走ると福岡から熊本市を超えるあたりまでは平坦ですが、その後ひたすら山の中をくり抜いたトンネルを走ることになります。
トンネルが始まると入り口の標識に連続することが表示されていますが、何と24個も続きます。
また加久藤トンネルと肥後トンネルは6㎞を超える長さで、一旦入るといつまでも続くような気がします。
今でこそ大きなトンネルのお陰で走り抜けることが出来ますが、トンネルが作られる以前、それより前の自動車が走る以前なら、熊本と鹿児島は隔絶された地域だったことが容易に想像できます。
そういえばネットを見ると熊本と鹿児島は仲が悪いことが書かれていますが、まぁこれは西南戦争の影響も大きいのでしょう。
鹿児島がここまで地理的に隔絶されていたからこそ、江戸時代には幕府の隠密の侵入を防ぎ「薩摩飛脚」なんていう言葉が生まれたのでしょう。
また、陸路で隔絶されていたことにより、逆に海路を求め、海で繋がった海外に目を向けることが出来、幕末に藩命でイギリスに使節と留学生を派遣したりしたのだと思います。
私たちの回りでも、物理的に近かったり、交通手段が確保されている行き先は「いつでも行けるところ」という思いがあるせいか、なかなか行きません。
そしていつでも行けるはずなのに、身体が弱ったり、転勤等で離れてしまうことにより結局、一度も行かなかった場所にしばしばなります。
私は北海道大学に行った四年間のうちに道内中は一通り回っておこうと思い、稚内、網走、根室、釧路、日高、函館、利尻・礼文などを回ってきました。
今でもたまには北海道に旅行に行きますが、函館を除いてなかなか端っこというか先端部分に行くことは無いので、あの時の判断は良かったな、と思います。
そして、日々の生活の中では「いつでも出来るから」と思って、なかなか実行したり、手を付けないことが多いものです。
家族旅行もその一つ。
独立開業したばかりの私が行ってていいのか、という思いもありましたが、家族全員で行けるのは子どもが小さい今のうちだけ、といったことや、全工程を車で移動するのは私が体力がある今のうちしか出来ない、と決断しました。
また観光地や世界遺産なども災害等で無くなったり行けなくなることもあります。
新婚旅行で行ったパリのノートルダム大聖堂は2019年に火災で焼失し、再建が予定されているものの歴史的な姿を再び見ることは出来ません。
今回行った桜島もいつかは必ず噴火するので、もう二度と見られない姿もあるでしょう。
私たちは「やりたい」と思う気持ちが起きると共に「やらない理由」を一生懸命作っていきます。
そして、その思いついた理由に従ってやらないことが思慮深いとか、大人な判断のように思っています。
しかし、往々にして後になってから「あの時に何も考えずにやっておけば」と思うものです。
また、気持ちに従ってやった結果が思わしくなくても、やらなかった後悔よりは遙かに気持ちの整理がつきます。
4月で私も退職から一年、新生活をはじめて一年になりますが、やった失敗よりもやらなかった後悔の方が必ず大きくなるので、常にチャレンジする毎日を送っていきたいと思います。