滋賀県高島市の饗庭山法泉寺住職の吉武学です。
人生のお悩みや終活のご相談をはじめ遺言・相続・葬儀・埋葬・終活のお悩みに「三つのそうだん」でお応えします。
昨日は小学校の終業式でした。
学童に通う子たちは、午前中のうちに学童に移動し、まずはお昼ご飯。
進学で退所する6年生がカツカレーを作って、みんなに振る舞ったそうです。
引き続き6年生を送る会。
4年生が中心となって企画運営したそうで、迎えに行ったときに指導員の先生に聞くと立派にやり遂げたと話してくれました。
近年、共働き家庭が多くなったため、学童の申込数も多くなり、来年度は新6年生と一部の在校生が退所することとなりました。
ウチの長男もその一人。
4年生として6年生を送る会を企画運営した昨日が、長男にとっても学童最終日となりました。
迎えに行ったときは荷物をまとめてそそくさと出ていこうとしましたが、母親から「指導員の先生に挨拶に行って来たら」と促されると、一人目に挨拶をした時から涙が止まらず嗚咽しながら順にあいさつに回っていました。
昨日のコラムでは、保育園児ではまだ会えなくなるという寂しさが分からないかも、と書きましたが、4年生になった長男は会えなくなる寂しさを全身で表現していました。
長男にとって学童は安心して過ごせる場所であり、将棋などやりたいことを一緒にやってくれる場所であり、行事の企画を任せてもらえるなど一人の人間として扱ってくれる場所でした。
家とも学校とも違う彼にとってのサードプレイスだったのだと思います。
4月からは、何か習い事でもしようか、と相談をしていますが、平日の放課後の親がまだ仕事をしている時間に通えるところはないものか、と思案しています。
放課後の子どもの居場所も問題ですが、早朝の子どもの居場所についての記事が出ていました。
共働き家庭が増えて、通勤に時間がかかるところに住む家庭だと、校門が締まっている早朝の時間から登校せざるを得ず、校門の開門待ちの子が問題となっているそうです。
関東では、一部の学校や学校内にある学童が早朝から受け入れをしているそうで、関西では豊中市の受け入れがニュースになっていました。
教員の負担増とならないように民間の職員を配置するとなっていますが、その人たちが休むときはどうするのかなどの懸念は尽きません。
ただそうした事よりも、親や会社や地域社会が子供のために変わろうとしない点に違和感があります。
親は会社や仕事に縛られて自由な時間の選択が無くなっており、地域社会は孤立化を深め家庭の問題は各家庭で解決するように求めるようになっています。
そのあおりを受けて子どもたちが朝や夕方に安全に自由に過ごせる場所が無くなっています。
ある時代ではその影響が「鍵っ子」として出たのでしょうし、近年までは「塾」が居場所の役割を果たしたのだと思います。
子どもが自ら鍵を開けて家で一人で我慢して過ごし、塾や受験といった競争社会に放り込まれ、会社での社畜として成長して、家族のために時間を使うこともできない人間となっていく。
これがおかしいと感じるなら、まずすべきことは家族は子供のために時間を作ろうとし、会社や社会や国はそのことを認めることではないでしょうか。