滋賀県高島市の饗庭山法泉寺住職の吉武学です。
人生のお悩みや終活のご相談をはじめ遺言・相続・葬儀・埋葬のお悩みに「三つのそうだん」でお応えします。
昨日はうちの二男の6歳の誕生日でした。
ずっと楽しみにしていて、誕生日まであと何日、と繰り返しつぶやき、朝起きると「あぁ!やっと誕生日だ!」と嬉しそうな顔を見せていました。
家族だけでなく、別に暮らす祖父母にも夜のご飯を一緒に食べに来て欲しい、とお願いしており、みんなからお祝いされて、満面の笑みでした。
その笑顔は、自分の周りの人達が自分を100%でお祝いしてくれる最高の日であり、それ以降も素晴らしい日々が続くに違いない、と確信していました。
大人になると、今日この日は良くても、なぜ先の日々が素晴らしい日々に違いない、となかなか思えなくなってくるのでしょうか。
「禍福はあざなえる縄のごとし」という言葉もありますが、先にはきっと悪いことが起きるに違いない、となぜか考えてしまいます。
よく「心配事の9割は起こらない」と言われます。
アメリカの大学の研究結果で、心配していることの79%は実際には起こらず、残りの21%のうち16%についても事前準備での対応が可能であるため、心配事が現実化するのはたった5%というものです。
漠然と心配するのでなく、具体的な分類によって、悩み事が解消できる証左かと思います。
私の悩みの多くは仕事に関することで、分類してみると「期限までに間に合わないのではないか」「相手が求めている質の結果を返せないのではないか」「提案しても相手に受け入れてもらえないのではないか」というあたりになります。
先週、少し体調を崩して仕事をせず横になる日があり、ペースが完全に戻ってないので途端にこのあたりが首をもたげてきます。
ただ具体的になぜ間に合わないのか理由があるわけではありません。
仕事の評価は相手に出してみないと分かりません。
提案して断られることはしばしばあることです。
病気をせずに元気だったら、多分これくらいのペースで仕事が出来たはずで、そのペースが崩れたから上手くいかないのでは無いかと、ぼやっと「想像している」だけです。
いや、「妄想している」とか「思い込んでいる」と言ってもいいと思います。
現実には出来る範囲で仕事に手を付けていき、その中で間に合うのか、どの程度のものが出来るのか確認していくしかありません。
抽象化したイメージの中で心配するのでなく、具体の作業の中で確認していくしか方法はないのです。
また、私の仕事の心配事は全て相手スタートで評価を気にするものばかりです。
期限に遅れて怒るのではないか、質に満足できず不満な顔をするのではないか、提案をいくらしても受け入れないのではないか、というものです。
この点、二男の方が常に自分スタートで物事を考えています。
「I want」で考えていると言ってもいいかもしれません。
誕生日は自分が生まれた素晴らしい日だからお祝いして欲しい。
そこに家族だけでなく祖父母も来て欲しい。
希望が叶わなかったら悲しいけれども、まずは自分がどうなれば嬉しいかを伝えたい。
40代なので惑わないはずなのですが、6歳の子どもの方がよっぽど人生に確信を持って生きている気がしました。