滋賀県高島市の饗庭山法泉寺住職の吉武学です。
人生のお悩みや終活のご相談をはじめ遺言・相続・葬儀・埋葬のお悩みに「三つのそうだん」でお応えします。
小学生の子ども達に時々、作文の宿題が出ます。
夏休みなどの長期休みには必ず絵日記が出ます。
ウチの子ども達は何の準備もなくいきなり文章を書き出そうとするので、慌てて止めて、まず白紙を渡して次の項目を書かせます。
「いつ」「どこで」「誰が」「誰と(誰に)」「何を」「どうした」「どう思った」といういわゆる5W1Hです。
それぞれの項目について順番に親が質問して、子どもに簡単に白紙に書かせて埋めていきます。
一通り埋まってから作文用紙にこの順番で書けば、概ね教科書的な作文を作ることができます。
ところが、このことを周りに話すと「型に嵌めているようでイヤだ」「子どもの自由な発想が失われる」などの批判を沢山いただきます。
では批判した人が、自分の子どもにどのように作文を書かせているか聞くと、「何も言わず自由に書かせている」「横からアドバイスしている」と言います。
時には親が何も言わなくても天才的な文章を書く子もいるでしょうが、大抵の子は要素が不足している作文になっているか、内容や指示語が前後して読みにくい文章が多いです。
横からアドバイスしてしまったら、もうその親御さんの文章になっているのではないでしょうか。
子どもの学年が上がってきたら、要素を書き出した後に「先生に一番読んで欲しいことは何?」と聞いて、それを作文の最初に持ってくるようにアドバイスすれば十分に独特の作文になります。
「昨日、近くの森に行って、弟と二人でクワガタを捕まえた。今までつかまえた中で一番大きい。とてもうれしい」という文章で、クワガタを捕まえた感動を伝えたければ、「クワガタを捕まえた。今までつかまえた中で一番大きい。昨日、近くの森に弟と行ってつかまえた。とてもうれしい」とするだけで、何に気持ちが動いているのかよく分かる作文になります。
形式についての口は出しますが、内容については子どもに自由に書かせています。
大人では発想しないような面白い言葉が飛び出してくるので、子どもが自分で書いたことが一目で分かります。
アドバイスするとしても、抽象的すぎて分かりにくい言葉を具体的な言葉に置き換えるように言ったり、指示語が何を指しているのか分からない時に手直しするコツを伝えるくらいです。
そもそも大人であっても「何でも自由に書いていいんだよ」と言われて、意図が伝わる読みやすい文章をスラスラ書ける人はほとんどいないでしょう。
Twitterの投稿で、小学校の時の担任の先生に書道の時間に言われた言葉をアップしている方がいます。
「例えばこのクラスのみんなが『晴』という漢字を書いても線のとめかた払いかたは絶対に同じにはならない。それが個性です。みんなが『晴』と書く中で『雨』と書いて、僕はみんなと違うんだ!すごいだろう!!と言ってもそれは個性とは認められません」という小学校の担任の先生の話はよく覚えている
Twitter 原田 (@harudajin)
クラス全員が同じ題材で作文を書いたとしても、必ず子どもの個性が出ます。
だからこそ、子どもが形式など些末なことで躓かないように、あらかじめ型を示してあげるべきだと思うのです。
同じ型を使っているのに、個性が発揮されるし、熟練してくればその型に当てはまらない文章を書いて「型破り」と賞賛されるでしょう。
一方で、型に嵌めている、と批判して、自由にさせようと基本的な型すら身につけていなければ「形無し」になってしまいます。
国語についてはこんな状態なのに、滋賀県では型と自由な発想を巧みに組み合わせて指導している教科があります。
「書道」です。
TVの「秘密のケンミンSHOW」でも取り上げられましたが、滋賀の書道での毛筆は書き初め用の太い筆を使い、和紙からはみ出すほどのサイズと勢いで力強く書くことを推奨されます。
授業では、たっぷりの墨によるにじみや、勢いから出るかすれに先生方から満足そうな声が出ます。
一方で、筆順や字の形をしっかり学ぶことは硬筆で行われます。
硬筆の方が学びやすいし、効率的だからです。
つまり型の部分は硬筆で学び、型を元にした自分を表現する部分を毛筆で学んでいるのです。
テレビでも滋賀の大人達がうれしそうに筆をとって書いていました。
もちろん、字の形からすればイマイチで、芸術要素もほとんどないと思いますが、「自分らしい字が書けた」と満足そうにカメラに見せていました。
子どもにせよ大人にせよ、何事につけ、ある一定のルールや制約があった方が、それに沿ってやっていけば良い、という道しるべになります。
そしてそのルールや制約の範囲内で熟達していくと、自然とそこから離れていくようになります。
人からヒアリングされる時に「ご自由にお話ください」と言われても話しにくいという経験をされた方は多いのではないでしょうか。
話しやすい人の時は、まず、こちらが話しやすそうな話題を振ってくれて、それに沿って話し始め、気がつくと広がりを持った話になっている気がします。
ちょっとした制約は、むしろ自由への入り口なのではないでしょうか。