滋賀県高島市の饗庭山法泉寺住職の吉武学です。
人生のお悩みや終活のご相談をはじめ遺言・相続・葬儀・埋葬のお悩みに「三つのそうだん」でお応えします。
親鸞聖人には生涯で有名な夢が三つあります。
その夢の中で、夢に登場する方が親鸞聖人に重要なお話をされたことから、「夢告」と言われています。
最初の夢告は、聖人が19歳の時に聖徳太子の御廟(大阪府太子町の磯長)に三日間お参りされた時に夢の中に親鸞聖人が現れたというものです。
いくつかの内容が告げられるのですが、最も大きな内容は親鸞聖人に向けて「お前の命はあと10年、その後に浄土に入る」と告げられたことだと思います。
二つ目の夢告は、聖人が28歳の時に比叡山にある大乗院での参籠の満願の日に如意輪観音が現れたというものです。
「間もなくお前の願いは満足される」と告げられ、磯長の夢告から間もなく10年になる聖人の背中を押したと言われています。
三つ目の夢告は、聖人が29歳の時に京都にある頂法寺の六角堂に百日籠もられた時の95日目に救世観音が現れたというものです。
ここで有名な「女犯偈」が告げられます。
行者宿報設女犯 (行者、宿報にてたとえ女犯すとも)
我成玉女身被犯 (我、玉女の身となりて犯せられん)
一生之間能荘厳 (一生の間、よく荘厳して)
臨終引導生極楽 (臨終には引導して極楽に生ぜしめん)
現代語に訳すと、概ね以下のとおりになるかと思います。
「仏道を修行しているあなたが、前世の宿業によって女性を求めるのなら
私が玉のように美しい女性となって添い遂げましょう。
一生の間あなたの生活を美わしく飾り
臨終の際には、あなたを極楽に導きましょう」
そしてこの夢の後、比叡山を下りる決意をされ、法然上人の元を訪ねお念仏の道を歩んで行かれます。
夢で告げられるってどうなの?と言われる方もいます。
実際に夢を見られたのか、創作なのか、宗教的な意味合いもありますし、鎌倉時代に戻ることもできないので検証もできません。
科学的には、私たちは毎日夢を見ていて、覚えているものがごく僅かなのだ、という話も聞きます。
ただ記憶するほどの夢を見る時は、何かに打ち込んでいるか、悩んでいるか、疲れ果てているか、といった時だと思います。
私はストレス負荷が高い時に、上手くいかず苦しくなる夢を多く見ている気がします。
それぞれの夢告の時には親鸞聖人は堂に籠もっての修行中であり、「救われる」とはどういうことなのか、どうすれば自分が救われるのか、ということに悩み続けた時間の先に夢を見られています。
夢に神秘的な意味合いを持たせるのは少し行き過ぎな気がしますが、打ち込んだり悩んだりしていることの新境地に気付くために、こちらが思ってもみないような新たな切り口を与えてくれるものではあると思います。
あなたは最近夢を見ましたか?どんな内容の夢を見ましたか?
ちなみに、頂法寺六角堂は、京都の六角通の名前の由来となった所ですし、華道の家元の池坊家が住職を務め、いけばな発祥の地でもありますので、京都にお越しの際は是非お尋ねください。
もう少し南に行くと、真宗十派の本山の一つ、仏光寺もあります。