滋賀県高島市の饗庭山法泉寺住職の吉武学です。
人生のお悩みや終活のご相談をはじめ遺言・相続・葬儀・埋葬のお悩みに「三つのそうだん」でお応えします。
先日の東京旅行で我が家の子ども達も色々な「体験」ができたと思います。
東京タワーや東京スカイツリーにしても、単に外観を写真で見るのでなく、実際にのぼって展望台から眼下を見下ろす経験が出来ました。
旅行に限らず家族全体での移動はほぼ車で移動するため、ウチの子達は電車に乗る経験がそれほど多くありません。
切符を改札口に入れて、乗り場のホームを探し、電車に乗り、再び切符を改札口に入れて下りていく、ということは、口や文字で見せても分かった気になるだけで、本当の理解は実際に体験してみないと出来ないと思います。
そして、出来る人にとっては何ということのない些細なことです。
Twitterで、東京出身の大学生と思われる人が、東京には文化、美術、芸術の何もかもが揃っており、直接体験することが出来たが、地方では全く体験できないか亜流しかないため、格差が開いていくのではないか、と書かれていました。
環境としては書かれているとおりだと思います。
ただ身近に環境があるからといって、多くの子どもがその高いレベルの文化芸術に親しんだり、刺激を受けるかといえばそうではありません。
そうであれば、都市と地方の子どもは様々な面でもっと差が出てくるはずだからです。
些細な体験から文化芸術に触れる体験まで、多くの体験は保護者などが上手く仕掛けることで、子ども達の身になっていくと感じます。
ただそのためには日頃から刺激の種を蒔いておいて、その中で発芽したものに上手く水や栄養をやれることが必要だと感じます。
今回の旅行で体験したようなことは、子どもに刺激の芽が出ていなくても何とかなりますが、音楽活動やスポーツは日頃の繰り返しの経験と一定の技術があってこそ芽が出てくるものだと感じます。
新聞で親の経済状況により子どもの体験格差が広がっている記事が出ていました。
記事の中では阪神大震災で被災した子ども達の支援の中で、「旅行もキャンプも習い事も何もしたことがない」「お金がかかる遠征や試合は一度も行けたことがない」という子ども達の我慢があったことが書かれていました。
クラウドファンディングで集めた資金を元に子どもの体験活動を支援して電子クーポンを配る公益社団法人も誕生していましたが、安定的な運営はまだまだこれからのようです。
学校での学びは基本的なものとして誰もが得られるようにするよう社会の合意が取られている気がします。
しかし、その学校の学びに対する動機付けや深まりのきっかけとなる体験活動については、各家庭に委ねられてしまっていると感じます。
文化芸術などお金がかかることを社会がしなければいけない、と言っているわけではありません。
どの地域にもそこにしかない文化や文化活動がありますし、図書館などもあると思います。
図書館で本好きで話すことが上手な大人が少し本の解説をするだけでも何人かの子どもの興味を喚起することが出来るでしょう。
地域の資源を活かしてそこに子どもがアクセスできるように、社会全体が子ども達のために少しずつ時間と労力を提供するような変化が求められていると思います。