滋賀県高島市の饗庭山法泉寺住職の吉武学です。
人生のお悩みや終活のご相談をはじめ遺言・相続・葬儀・埋葬のお悩みに「三つのそうだん」でお応えします。
先日誕生日を迎えたので45歳、アラフィフになりました。
50代や50歳のイメージが湧かないのが正直なところです。
ただ、自分が仕事で以前に関わった「8050問題」の年代にさしかかってきたのかと思うと、少し動揺してしまいました。
もともとの8050問題は1980年代に10代から20代だった人が、学校や職場の問題から自宅で引きこもり状態となり、それが2020年頃になって、80代の親世代が50代の本人世代に生活を支える状態となっている問題です。
親の医療・介護、本人の今後の生活費など、身心面から経済面まで広範な問題を抱えており、近年ではさらに長期化して9060問題となっている、という報道も見られます。
この問題でテレビなどでもよく拝見するジャーナリストの池上正樹さんによれば、引きこもっている本人は社会に出たことがないわけではなく、7割の人が正社員で働いた経験がある、と調査されています。
働いてはいたけれど、職場の人間関係や労働環境による精神的なダメージや病気の治療などにより、自宅に引きこもらざるを得なくなったそうです。
8050問題はずっと以前から言われてきたので、20年ほど前に私が教育委員会にいた頃にもよく取り上げられていました。
そしてその頃から対策としては「就労支援」がゴールとして設定されていたと記憶しています。
こうした対人スキルが求められる解決策は結局の所、ほとんど上手くいきませんでした。
ただ、引きこもっている人達も自宅以外に出れないわけではなく、対人スキルが求められず、会いたい人と会ったり、落ち着けたり、他者から攻撃されないところは居場所として行けると言います。
例えば、図書館やコンビニ、スーパー、公園、川べり、書店、カフェなどです。
不特定多数の人がいるところに出かけることで、社会の中で自分が生きていることを実感できる。でも、相手から攻撃されたり要求されたりしない。
こういう所にヒントがあるということです。
毎日新聞で先述の池上さんの弟さんも引きこもられていたという告白が記事として載っていました。
学校での挫折から引きこもるようになったそうです。
実家を出てフリーランスとして活動していた池上さんは、仕事のアシスタントとして雇用するなどして、弟の支援をしようとしましたが上手くいきませんでした。
ただそうした姿を親戚から「お兄ちゃんなんだから面倒見なくてどうするの」と言われ、心に傷を負われていました。
8050問題は80代の両親と50代の本人がクローズアップされがちですが、家族はそれだけではないわけですから、兄姉弟妹にも大きな影響を与えている問題だと感じました。
ご両親が亡くなられ、弟さんは自宅で孤立状態となり、最後は病死から腐敗した状態で発見されたため、最後の対面は出来なかったそうです。
弟さんの生前は「自分のことは記事に書かないで」と言われ公表されていなかったそうですが、同じ境遇の人達を見る中で告白されたと書かれていました。
私たちは社会で「役に立つ」ことが求められ、学校ではその「役に立つ」ための訓練が上手くいくかどうかを盛んに煽られていると感じます。
途中で躓くと、自分を社会のお荷物のように感じ、再度挑戦することを困難にしています。
社会のために生きているのではなくて、私が私のために人生を生きる、人生を充実して生きることが本来であるべきです。
社会の役に立つかどうかを価値基準にすると、引きこもりだけでなく、障害者や高齢者も価値が低くなってしまいます。
8050問題を特定の家族の問題と捉えず、私たち全員の生き方の価値観の問題だと捉えることが必要ではないでしょうか。