滋賀県高島市の饗庭山法泉寺住職の吉武学です。
人生のお悩みや終活のご相談をはじめ遺言・相続・葬儀・埋葬のお悩みに「三つのそうだん」でお応えします。
先日、法事の後に雑談をしていると、色々なトンデモ科学を耳にしました。
福島県沖の海水温が急上昇しており、その原因は放射能で熱せられた水を捨てているから、とかその海水温の上昇が爆弾低気圧の原因となっている、といったものでした。
また、新型コロナのワクチンについて、人にうつすといけないから打っています、とおっしゃられた方がいました。
福島県沖の海水温の上昇は確かに現象としてあるようですが、原発に関係した熱水を捨てればすぐにバレるし、IAEAなどが発表します。
海水温の上昇は低気圧の発達の原因になりますが、偏西風の影響なども大きいため一概に言えません。
新型コロナのワクチンの主目的は重症化予防であり、人からもらうことを防ぐ効果は多少あるようですが、人にうつすことを防ぐ効果はありません。
嘘を広める時には少し本当の内容を混ぜておくのがコツらしいですが、まさに今回もそのような感じでした。
この話をどこで知ったか尋ねると、ネットの情報を見たという人や、人から聞いたと言う人ばかりで、ニュースや新聞に書いてあったと言う人はいませんでした。
SNSやネットの機能によって起こるエコーチェンバー現象やフィルターバブル現象と呼ばれるものが、私の周りでも影響を与えているのでしょう。
また、それでなくても微妙に間違った情報を声が大きな人が言い続ければ周りが信じてしまうのは昔からのことだと感じました。
こうした誤った情報が流布しないように間違いを正し、正しい情報を継続的に発信することが必要だと言われます。
しかし、実際のところそれはなかなか難しい、と感じます。
論語に「子曰わく、民はこれに由らしむべし。これを知らしむべからず」という言葉があります。
現代では「民衆は黙って政治に従わせておくべきで、民衆にいちいち政治の内容を知らせるべきものではない」という誤訳の方が広がっていますが、正しくは「民衆からは、その政治に対する信頼をかちうることはできるが、政治の内容を知らせることは難しい」と言う意味です。
論語ではさらに「民信無くば立たず」という言葉もあります。
孔子が弟子から、政治で重要なものを尋ねられ、食料、軍隊、民からの信頼の三つを挙げました。
やむを得ず捨てる場合、まず軍隊、次いで食料であり、一番重要なのは信頼であるといっています。
「社会は政治への信頼なくして成り立つものではない」という意味といえるでしょう。
公務員時代に盛んに「説明責任」という言葉で繰り返し説明を求められることがありました。
公務とは政治家の思想を具現化していく仕事ですから、「知らしむ」ことを求められており、それに対応していたわけです。
ただ、説明を求める人達の中には、説明が足りないから求めているというよりは、感情的に納得できないので納得できるように説明しろ、といわれているケースがしばしばありました。
これは例えば、「今の日本の電気需要を満たすために今のところ原発は必要である」「国際情勢のために日本への米軍駐留はやむを得ない」「ゴミの廃棄物処理のためにゴミ焼却場の建設は必要である」と理屈の上では納得されていても、それが自分の身近に来る、となると感情的に納得できず反対されるというものです。
これに対していくら説明という理屈でお話ししても、不満や納得できないという感情の面をケアすることは出来ません。
また話す側も聞く側もバイアスを持って臨んでいますし、知識量や理解力に差があるので、説明で互いが同水準の理解になるわけではありません。
政治であっても、人間関係であっても信頼を基礎とすることが大事で、それなくしては成り立ちません。
しかし、「知らしむ」ことでは「信」は獲得できないという点も孔子の時代から指摘されていることであり、難しい点だと感じます。