年忘れ?歳忘れ?

滋賀県高島市の饗庭山法泉寺住職の吉武学です。
人生のお悩みや終活のご相談をはじめ遺言・相続・葬儀・埋葬・終活のお悩みに「三つのそうだん」でお応えします。

忘年会に行ってきました。
手元にあった広辞苑で忘年会を引くと「その年の苦労をわすれるために、年末に催す宴会」とあります。
一年間苦労があったという前提で出来上がっているので妙だな、と思いもう少しネットで調べてみると、元々の意味は違うようです。

元々は年の字でなくでなく歳の字を使ったとのこと。
つまり「年忘れ」でなく「歳忘れ」だったそうです。
歳忘れという言葉については、いくつかの説がありました。

一つ目は、室町時代に年末に連歌会の納会が催され、「自分の歳を忘れて連歌の上達を喜んだ」というもの。
二つ目は、江戸時代に「忠孝を尽くす相手である親や主君が歳を取って老いていくことを忘れるとともに、歳を越せることを喜び合った」というもの。
三つ目は、近代に入ってからの「先輩・後輩の歳の差を超越して心と心の付き合いをする会」であるというもの。

この三つ目の由来に加え、明治から東京に出てきた学生のうち、年末に里帰りしなかった人が宴会で盛り上がったことや、官僚らが冬のボーナスで飲みに出かけて行ったこと、と結びついて忘年会として定着していったそうです。
飲むための口実が何か欲しいので、一年の嫌なことを忘れるという意味で年忘れを持ち出し、会場では無礼講よろしく歳忘れとしていたのでしょう。

江戸時代の頃には一年の仕事は12月13日までに終えていたそうです。
そして13日は庶民の長屋も大名屋敷も煤払いがあり、商家では煤払いを終えるとクジラ汁をはじめとするごちそうが出たそうです。

忠臣蔵では、この煤払いの煤竹の行商のフリをして大高源吾が吉良邸の様子を探っている時に両国橋で俳句の師匠の宝井其角に会ってしまい、「年の瀬や 水の流れと 人の身は」とかけられた上の句に対し「あした待たるる この宝船」と返すところが有名です。
そう考えると忠臣蔵の吉良邸討ち入りの12月14日は江戸の風習から考えると絶妙の日付だったと言えるのかもしれません。

講談『赤穂義士銘々伝〜大高源吾』あらすじ koudanfan.web.fc2.com

私の行政書士としての行事で予定が決まっているものは明日のセミナーが最後で、後は御依頼いただいている案件を少しずつ進めていくだけになります。
一方で、師走の師とは僧侶であると言われるとおり、駆け込みの年忌法要や正月に向けての準備のため、住職としては日を追うごとに走り回ることとなります。
振り返れば独立して二年目、大変なこともありましたが、嫌なことと感じることはなかった一年ではないかと思います。

少し落ち着いているうちに一年の振り返りをして、来年に向けての目標を立てようと思います。

そうすると、年を忘れている場合ではなく、年を振り返らないと行けませんね。