坊主丸儲けならみんな住職を目指してはどうだろうか

滋賀県高島市の饗庭山法泉寺住職の吉武学です。
人生のお悩みや終活のご相談をはじめ遺言・相続・葬儀・埋葬・終活のお悩みに「三つのそうだん」でお応えします。

寺院の後継者不足は本当に深刻です。
リンクを張った雑誌記事で書かれている各宗派の後継者がいるお寺は40%~60%ぐらいです。
現在約7万7千ある寺院数は4万2千程度になると見られています。

記事では、寺院収入だけで運営できる寺院が少ないことから、都市と地方の寺院の連携方法の例などが書かれています。
また私のように住職と他の仕事を兼業している例も紹介されています。
特に記事中では、私の寺院がある滋賀県は寺院過密率が日本一であり、兼業住職が多いことが紹介され、今後も増えていくだろう、としています。
そうした兼業ができる滋賀県は恵まれた寺院立地とまで書いています。

しかし、寺院側の人間にするとその兼業の姿は望んでいる姿ではありません。
兼業すれば寺院の運営はどうしても不十分になります。
法要の準備などももっとしたいし、説教者を招いて法座の開催などもしたいと思っていますが、時間も自分の余裕もなかなかありません。
教えを多くの人に触れてほしいと思う僧侶であればあるほどジレンマを感じると思います。
兼業して住職の生活を成り立たせて、お寺の運営を維持するのは決して望んだ姿ではないのです。
そう考えれば、今後のお寺で兼業が増えていくというのは望ましいことではなく、統廃合してお寺としてやりたい事業ができる規模を目指すことがごく自然だと考えます。

こうした記事が書かれるたびに、お寺や僧侶はどんどん世俗的になり、坊主丸儲けだ、と書かれますが、それなら多くの人が僧侶を目指し、住職になるはずです。
しかし、ほとんどの人が住職どころか僧侶にすらなろうとしません。
それは現実は何を意味しているのか、ということを端的に表していると思います。