滋賀県高島市の饗庭山法泉寺住職の吉武学です。
人生のお悩みや終活のご相談をはじめ遺言・相続・葬儀・埋葬のお悩みに「三つのそうだん」でお応えします。
ようやく子ども達と一緒に子ども部屋の整理ができました。
ようやく子ども達と一緒に子ども部屋の整理ができました。
本当は夏休み前に整理をして、学校から持ち帰ってくるものをスムーズに片付けられるようにしておきたかったのですが、七月中にできたので良しとしておきましょう。
合わせて夏休みの宿題を一緒に確認して子ども達と今後の見通しを立てていました。
夏休みの宿題を確認して感じるのは、なぜ全員に出されるのだろう、と思う二つのものです。
一つ目は読書感想文です。
学校で作文の授業などはありますが、一字下げであったり句読点の打ち方であったり、お作法の面が中心です。
にもかかわらず、夏休みの宿題で求められているのはある種のエッセイか小説のような文章です。
学校からは「自分の気持ちを書きましょう」と言われているようですが、小学生が普通に書いたらたった一言「面白かった」「ビックリした」などを書いて終わりではないでしょうか。
なぜその気持ちに至ったかの背景を描き、心の動きを書いていく技術は学校では学んでいないはずですが、いきなり宿題で求められます。
ちなみに私が小学生時代に書いたものは、だいたい作品の背景を説明する文章を書いているうちに字数が来てしまって、気持ちの面がほとんど書けませんでした。
二つ目は自由研究です。
自由研究は制作系と研究系の二種類がありますが、研究系が求められることが疑問です。
例えば、研究をいっぱいやっている大学生でも、最初は教授の指導に従って手順を踏んだ実験を行い、次は教授の研究テーマの一部から与えられて、サポートと指導を受けながら研究を行うものではないでしょうか。
小学生の中でも、以前から科学に興味があって、疑問も何か持っていたのであれば、求められているような研究系の自由研究ができるかもしれません。
ただ多くの小学生は、実験らしい実験もしたことがありませんし、テーマも特に与えられませんし、夏休み期間中にサポートも指導もしてもらえません。
こちらも私が小学生の頃は、何となく科学っぽいことをして提出はしていましたが、今考えても、テーマ設定も実験のやり方も、少し指導を受ければもっと深められただろう、と思います。
いずれの宿題も、どう考えても事前に十分な指導が行われていると思えません。
何も指導しなくても時折、天才的な文章や研究を出してくる子はいるでしょうが、それは例外で、全員に出す宿題というところを考えるとどうなのかな、と感じます。
また、これが小学生だけでやり切れるのなら問題ないのですが、多くの家庭で保護者がサポートすることになります。
学校で指導していないものをわざわざ出して、九分九厘以上の小学生によい思い出を与えることもなく、保護者の負担も増やしてしまう、この二つの宿題は何とかならないのでしょうか。