生卵を大量に飲んだロッキーは海外では考えられないシーン

滋賀県高島市饗庭山法泉寺住職の吉武学です。
人生のお悩み終活のご相談をはじめ遺言・相続・葬儀・埋葬のお悩みに「三つのそうだん」でお応えします。

7月後半に京都の四条河原町を歩いていたら、たまたま神輿の巡幸に出会いました。
おそらく後祭の日の巡幸だったと思われ、これがいわゆる「後の祭り」だなと思いながら見ていました。

私たちは日常生活でお祭りや古典を元にした言葉を使っています。
新聞記事では「二ノ舞」が取り上げられていました。

・毎日新聞 時代の風「舞楽「二ノ舞」と大量消費文明 「常識」も変わりゆく」 2023/10/08

「二ノ舞」は「安摩」という舞楽とセットになっています。
「安摩」という祭のための舞楽を踊ろうとして上手くできない二人を揶揄して「二ノ舞」となっており、「二の舞いを踏む」という言葉の語源になっています。

「二ノ舞」に出てくるのは年老いた二人は、よぼよぼして手足が震えています。
「安摩」のきびきびした動作を真似ようとしますが、上手くいかず、それを観客が笑います。

記事では、筆者が国立劇場で「二ノ舞」を鑑賞する様子が描かれていますが、観客は誰一人笑わなかったということです。
なぜかと言えば、二ノ舞の登場人物の動作は、老人や障害のある人たちの身体の動きを連想させるものなので、現代に生きる私たちはそれを見て笑うことができないというわけです。
かつては、身体障害者や老人の動作の一部は、「ぶざまな」動作と思われ、あざけりの対象でした。
それが、時代が進むにつれてあざけりの対象とするのは、いけないことだと、誰もが認識するようになり、常識が変わった。

記事では、環境問題や大量消費と話を繋ぎ、これまでの経済の常識で環境破壊をしてきたことが、今、常識が変わり、大量生産・大量消費・環境破壊がいけないことだ、という常識となってきている、とまとめています。

記事のような難しい話で無くても、文学や芸術作品などで、時代背景や文化背景が今の私にとって常識で無いため、作者の意図通り受け取れていないものがあります。
美術館に展覧会を見に行って、ドガの踊り子を見ても今の高級芸術としてのバレエのイメージで見てしまいますが、当時のパリにおいては踊り子は娼婦の面も持ち合わせていました。

映画では「ロッキー」で、主人公が生卵を大量にジョッキに割り入れてそのまま飲むシーンがあります。
日本人にとっては、卵かけご飯もあることから何とも思わないでしょうが、海外では生卵を食べると言うことは寄生虫のリスクがあるので考えられないシーンとなっています。

日本では埋葬の方法は99%以上火葬ですが、海外のキリスト教文化圏では復活のために肉体をそのまま土葬します。
だからこそ海外ではゾンビ映画が作られ、墓場からゾンビが出てくることに実感が湧くのですが、日本では火葬してしまっているためなかなか共感されないと言われます。

インドのガンジス川沿いでは、河原で火葬が行われて、遺体をそのままガンジス川に流すそうです。
なので、バックパッカーがガンジス川で沐浴したりすると、水を飲まなくてもてきめんに何かの病気にかかると聞きます。

教養として、こうした知識を得ておくのも良いのでしょうが、その文化背景に住む人達にとっては私たちと異なる「常識」となっています。
私たちと相手のそれぞれの常識のどちらが正しいわけでもありません。
異なる時代、異なる文化のものに出会った時に、ふと「なぜそうなっているんだろう」という視点を持つ余裕を持っておきたいな、と感じました。